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秋田の車好き Archive

ケーターハムスーパー7

ケーターハムスーパー7。原型をイギリスのコーリン.チャプマンが学生時代にガールフレンドのヘイゼル.ウイリアムズの自宅の納屋で1928年型オースチン7をベースに草レースに出場するために1947年に完成させた車が始まりで、7と名づけその後改良を加え強力なエンジンを積んでスーパー7とした。1973年にケーターハム社に製造販売権を譲ってケーターハムスーパー7が誕生した。見ての通りスピードとオープンエアー、たまの休みにサーキットでアマチュアレースを楽しむ車で暑い、うるさい、臭いの三拍子揃った車、その上低くて狭い。乗り込むだけでも大変で外側の肘が車体の中に納まらなくて、車外にはみ出す。だけれどもファンが多く世界各国でこの手の車を製作する会社が多い。日本でも2社もある。私的表現でマニアには申し訳ないが大八車にエンジンをつけたようなもので、隣に女の子でも乗せようなものなら8割方の女の子には“あたし2度とこの車に乗らない”と言われるのが落ち。基本的に乗馬の文化がないとなかなか馴染めない。600kそこそこの車体に200馬力を超えるエンジンを積みこれでどうだ。俺は男だ。と内心満足している人が結構多い。スピード感は馴れでだんだん満足できなくなり日夜もう少し何とかなるじゃないかと思ったとたん山本リンダの歌じゃないけど“もうどうにもとまらない”となるのである。(文・吉田章二)

ポルシェ74カレラ

1974年、ポルシェはアメリカの5マイルバンパー(時速8km/hで衝突しても変形せずボデーに影響を与えないこと)の義務化により911のスリムなボデーに大幅な変更を余儀なくされた。社内コードGシリーズと呼ばれ73年までの通称ナローと呼ばれるシリーズは生産を終了しポルシェも時代の要求に応えざるを得なかった。この巨大な前後バンパー(通称ビッグバンパー)にポルシェファンは大きな落胆を味わったがそれが安全性に寄与する為であることから納得せざるを得なかった。ポルシェの最強版はカレラと命名され今回登場した車はマニアの間では74カレラと呼ばれ当時にすれば珍しいクーラー付。The best of 911といわれた73年カレラと同じメカニカル燃料噴射ポンプ付2.7リッター210馬力エンジンと同一だが、ボデー変更により大幅に重量が増加しサスペンションパーツをアルミ合金の使用、三角窓の廃止など改良を試みたが73カレラより175kgの重量増加と空気抵抗の増加は如何せんしがたいものがあった。一般にはスポーツカーは馬力荷重を6kg前後で設計する。73カレラは900kgだから馬力荷重4.2、74カレラは1075kgで5.1。十分である。馬力荷重が4を切ると普通のドライバーだと危ない。ちなみに超音速ジェット戦闘機は推力を馬力換算すると馬力荷重は0.8ぐらいと聞いている。1974年は昭和49年、当時30歳の人は今で言う前期高齢者の仲間入り。機械は手入れを怠たりさえしなければ長持ちするものである。
(文・吉田章二)

BMW3.0CS

BMW3.0CSは1969年から1975年に製造され写真のBMWは75年の最終モデルでBMW社のフラッグシップカーとして人気を博した。このモデルの前身のCS(スポーツクーペの意味)シリーズは2000CS、3200CSが生産されたがあまりに高価すぎて販売台数はそれほど多くない。CSシリーズBMWの中でも数少ないコレクターズアイテムになっている。今になっては懐かしいゼニスのツウィンキャブレターで3リッター直列6気筒エンジンから180馬力を発生、時速210k前後(MTとATでは伝達効率の違いで最高速度がMTの方が早い)まで加速した。1960年後半やっとコンピュター技術が自動車にも取り入れられ西ドイツボッシュ社がDジェトロニックフュエルインジェクションシステム(Dはドイツ語で圧力の意)を開発してその燃料消費率と吸入効率の良さでヨーロッパ車の高級車やスポーツカーの多くが採用した。BMWもこの3.0CSにも採用し3.0CSiとして生産ラインに加えた。今では軽自動車までフュエルインジェクションは当たり前だが当時はリァに誇らしげにfuelinjectionのエンブレムがつけられた。ちなみに日本ではいすずの117クーペが最初に採用したと記憶している。3.0CSの後継車は6シリーズ(社内名E24)と呼ばれ世界一美しいクーペと評された。
(文・吉田章二)

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フェラーリ328GTS

フェラーリ328GTSはフェラーリの量産型V8、3リッター308GTBが1975年パリサロンで発表され人気を博した後をうけて排気ガス規制の影響でエンジンを3リッターから3.2リッターに変更。キャブレターから燃料へ、ボデーを少し大きくしメーターなどの視認性を良くしてV8シリーズの第2世代として1985年より発売された。3リッターシリーズにはBとSのボデータイプがありBはクーペ、Sはルーフ部分を取り外せるスパイダー(タルガトップ)の2車種生産されたが328も同様GTBとGTSの2車種販売された。写真のフェラーリは87年登録22年間秋田在住、今では珍しくなった昭和の文字が車検証に載っている。イタリア ピニンファリーナ社 レオナルド フィオラヴァンッティのデザインによる華麗なスタイルは今でも人気が高く日本ではボデー剛性の面からGTBが世界では圧倒的にGTSの方が人気である。車好きにとってフェラーリと聞いただけで目が点になり、目の前にエンジンがかかっているフェラーリがあればどっとアドレナリンが体中を駈け巡るほど永遠の憧れの車である。デザイナーが描いた線を忠実に再現できる熟練者とのコラボで出来上がる造形美。完成して何ぼと、何ぼの値段をつければ何ぼ売れるの差は道具と工芸品の違いであろう。(文・吉田章二)

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フォード ブロンコ 1969

フォード ブロンコ 1969  ~Ford Bronco 1969~
フォード社が第2次世界大戦中軍用4輪駆動車いわゆるジープをウィリス社などと生産していた。我々の年代はジープ、イコール進駐軍で特にMP(ミリタリーポリス)がMPと白字の書かれた鉄兜と軍服に同じくMPの腕章をつけて敗戦後の日本国中走り回っていたことがすぐ脳裏に浮かぶ。これがまためっぽうかっこが良かった。戦後民生用としてしばらく生産されていたが、だんだんレジャー用として使用され始めると殆ど裸同然のジープでは耐候性などから新しいレジャー用所謂今で言うSUVの要望が強まり、1966年ブロンコというブランドで販売を開始した。が、基本設計はフォードトラックがベースでエンジンも小さくパワーステァリング、オートマチックなど無く女、子供には運転できないぞとばかりかなりスパルタンな男の車であった。広い国土のアメリカのこと、すぐにオプションでオートマ、パワステ、V6エンジンからV8エンジンが用意された。1966年から1977年まで生産され写真のブロンコは1969年型でアーリーブロンコと呼ばれ今でも本国ではマニアの間では絶大な人気をもっている。ボデースタイルもこれだったらどこでも走れるぞとばかりにドライバーの冒険心を掻き立てる。夕暮れの大草原、ドライバーは長髪のネイティブアメリカン、土煙を上げながら猛スピードで走るブロンコ、メーターパネルの下の棚にライフル銃でも付いていればこれはもうサスペンスドラマのオープニングシーンである。(文・吉田章二)

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ジャガーXJ6L

ジャガーXJ6L 1976年
1968年ジャガー社がブリティシュモーターホールディングスを経て一部国有企業のブリティシュレイランドに統合された年に大型サルーン420Gの後継車としてXJ6シリーズ1として販売されシリーズ2,3と1987年まで製造されその後をXJ40に引き継いだ。当時のイギリスは戦前の世界基軸通貨であったポンドは戦後1ポンド約1000円ととんでもない価格で超リッチな人でない限りMade in Englandなど高嶺の花、1972年変動為替相場に移行したが1976年当時まだまだイギリスの鼻息は荒く600円ぐらいはしていただろう。写真のジャガーは対米輸出向けの左ハンドル車でカリフォルニァ排ガス規制のため本国仕様車よりパワーは低いが4200ccのトルクは充分でジャガー独特のネコ足と表現されるしなやかなサスペンションと路面からの遮音は一級品で早く走らせようとすればそれなりの運転技術を要し、いい加減に扱えば牙をむく。まさにジャガーの名の通りドライバーは猛獣使いの心得が必要である。写真のXJ6LのLはロングホイールベース仕様で後席が広くVIP用作られ輸入されたのは殆どがXJ6でL仕様は日本ではかなり稀である。秋33から見ての通り今だワンオーナーで親子三世代に渡り大事にされ、聞くところによると初孫が誕生した年に購入されその孫も現在32歳。このジャガーを曾孫に受け継がせると聞き親子4代にかかわる世界でも稀にみる幸せな車である。(文・吉田章二)

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ポルシェ911

ポルシェ911(ナロー)
このポルシェは1970年型2.2リッターエンジン(125馬力)付き911Tで他にE,Sモデルが在り70年から71年まで約1万台製造された。もともとは1963年356モデルの後継車として開発され設計番号からモデル901として1964年のジェネーブ、ショウで発表され世界の注目を浴びたがフランス、プジョー社が3桁のモデルナンバーの真中に0を入れる商標を登録していたためクレームがつき911として発売された。そのため911の部品番号が901から始まるものが多くある。1970年大気汚染防止のためアメリカ合衆国でマスキー法が施行されそれまで大気汚染など関係なかった自動車の排気ガスに規制が懸かりポルシェの最大のマーケットであるアメリカ輸出のため発売当時の2リッターエンジンのピストン口径を4ミリ広げ2.2としてそれをクリアーし、これ以降ポルシェのエンジン排気量アップの歴史が始まるのである。1974年同じくアメリカで衝突時の安全性の確保のため5マイル(8km/h)バンパーが義務付けられポルシェも前後に衝撃吸収バンパーが取り付けられ1974年以前のポルシェをナローと呼ばれるようになった。1970年と言えば今から38年前。ここでちょっと考えて欲しい。これを読んでいる読者の年齢から38年を引いた時を思い出してみればこのポルシェが如何に長い年月大事に乗られたか。エンジンルームの写真をみればオリジナルそのままで新車当時の性能を維持しているところがいかにも老年の漁師の日焼けした顔や手のようにプロとしての男の年輪の様で、ピカピカに塗装したり磨いたりしてないところがかえって燻し銀のような美しささえ感じられる。(文・吉田章二)

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ダットサン

ダットサン15型ロードスター。戦前の昭和13年製もはや数えるほどしかない(おそらく数台)日産自動車製の貴重車。戦後かなりの間ダットサンと言えば日本の小型車の代名詞で軽飛行機のことをなんでもかんでもセスナと言うのと同じで、団塊の世代には懐かしい。ダットサンとはDATSUNと書くが日産自動車の前進である3人の名前のイニシャルを取ったDAT自動車製造を創設し脱兎号のブランドでトラックや小型の乗用車を生産した。1時DATの息子の意味でダットソン(DATSON)と商標としたがソンが損に通じると言うことでDATの太陽からダットサンのブランドが1932年に生まれた。ダットサンの車名が1981年フェアレディS30を最後に車検証上からトラックを除いて全てニッサンとなった。この15型ロードスターは2シーターでイギリスのオースチンやウーズレーのエンジンを模範としたらしく750ccサイドバルブでパワーは70年も経っているので資料もないが20馬力前後かと思われる。ブレーキも現在の油圧式ではなくロッド式でブレーキペダルから各車輪のブレーキまで鉄の棒で連結され4輪を均等に制動させるにはかなりの熟練を必要とした。また方向指示器もアポロ式と言って赤の矢印がケースから飛び出したりエンジン冷却水を一定に保つサーモスタットやウォターポンプなど無く一昔前の風呂ガマのように自然循環式なのでドライバーはエンジン水温計を見ながらラジエターグリルの前に布製や革製のカーテンを取り付けそれを開けたり閉めたりしてエンジン温度を適温にしながら運転していた長閑な時代であった。それでも当時自動車を所有出来る人は相当なリッチマンであったにちがいない。 (文・吉田章二)

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リンカンコンチネンタル

リンカンコンチネンタル1979年型で1973年 第4次中東戦争の勃発による第1次オイルショック、1978年イラク革命による第2次オイルショックを生き伸びたアメリカ最後のフルサイズカー。
自動車創世記には第1次世界戦争後のアメリカの好景気に支えられて60社を超える自動車会社が在り高級車を競い合ったが合併吸収を繰り返し現在ではGM、FORD、クライスラー、のビッグ3を残すだけとなった。
リンカンモーター社は1917年に設立され高所得層向けの高級車を製造していたが1922年フォードモーターに買収されフォードモーターのフラッグシップカーとして現在にいたる。アメリカ合衆国史に偉大な功績を残した16代大統領リンカンと同じ名前故大統領専用車となり日本初のアメリカ日本衛星中継で臨時ニュースとなったケネディ大統領がテキサス州で暗殺された時に乗っていたのもリンカンであった。
写真のリンカンはいつ見ても巨大である。全長6m弱、幅は2mを超え6600ccのエンジンでこの巨体を100マイルまで加速する。でも実際アメリカの市街地やフリーウエイではこの大きさは背景や道路が広いので感覚的には普通の車。国土が大きいためアメリカ人の巨漢が何千キロもほぼまっすぐな道路をドライブするにはソファのようなゆったりとしたベンチシートと柔らかめのサスペンションが必然となる。車に乗り込んでみてアメリカ人のリッチさとは何かが頷けるような気がする。
余談ではあるがこのリンカンのオーナーはアメリカ人と並んで歩いても一歩も引けを取らない体格の持ち主で新車からかれこれ30年、この状態を維持している熱意と情熱には尊敬に値するものがある。 (文・吉田章二)

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ポルシェ356

スポーツカーの代名詞と言えばポルシェ。フェルデナンド ポルシェがヒットラーの国策でフォルクスワーゲンを設計し終戦とともにフランスに捕らえられルノー4CVの設計に参加したが、1947年開放され彼の設計事務所で息子達と協力しながらポルシェのブランドでフォルクスワーゲンのパーツを流用して1948年、設計番号356の最初の試作車を完成させた。これ以降ポルシェは設計番号で新車を発表するようになる。1951年1月長年の夢であった自分の名前を冠したスポーツカーを世に出し大成功を確認してその目を永遠に閉じた。その息子達と彼のスタッフが時代と共に少しずつ改良を重ね356,356A,356B,356Cと発展させ1965年に生産を終了し911シリーズへバトンタッチする。写真のポルシェは最終型のCモデルで高出力エンジン(1600cc、95ps。Cモデルは1600cc、75ps)を装備した356SCのキャブリオレでマニア垂涎のコレクターアイテム。値段も発売当時の新車価格の2倍、3倍は当たり前だが2577台ほどしか生産されず、よほどチャンスと幸運に恵まれないと自分の手に入らない。写真で見て判る通りドァ、トランクルーム、エンジンフードの開口を除いて外装部にパネルの継ぎ目がなく全てのパネルは溶接され、しかも溶接部分はハンダで仕上げされているためボデー剛性が非常に高く50年も経過しても整備さえしっかりしていれば現在での交通事情でもどこへでも安心して行ける。この秋田にも356の世界に通用するコレクターが存在したが惜しくも2年前に亡くなりその遺産は世界中のコレクターへと引き継がれた。 (文・吉田章二)

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