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秋田の車好き Archive
BMW M1
- 2011-12-21 (水)
- 秋田の車好き
BMW社は自動車レース界において1970年前半からシルエットフォーミュラーと呼ばれるグループ4,5レースでポルシェの独壇場を切り崩すべくBMWのスポーツ部門を担当する関連会社BMWモータースポーツと共にM1(社内コードE26)の開発に着手、当初エンジンは自社開発V12,4.5リッターを搭載する予定であったがオイルショックなどにより、直列6気筒、3.5リッターエンジンに決定する。イタリアのジュージアーロで有名なイタルデザイン社にグラスファイバ-製のボデーデザインを委託、ミッドシップエンジンには全く経験がないためランボルギーニ社がシャシーの開発を担当、長大なBMW6気筒エンジンのためホイールベースが長くなり、重心高を下げるためドライサンプを採用して問題を解決した。1977年試作車は順調に完成したがその後のランボルギーニの生産が遅れランボルギーニ社を買収しようとしたが失敗、結局ドイツ、バウア-社にシャシー生産を変更、1978年パリサロンにデビューする。グループ4レースに参戦するには年間生産台数が連続して400台を生産しなければならなかったが、バウアーで作られたシャシーをイタリアに送って、ボデーを架装してまたドイツに持ってきてBMWモータースポーツでサスペンションやブレーキの組み込むなど非効率この上ない生産体制で400台をクリアできずワンメイクレース部門を作ってメインレースの前座を務めたが特例でグループ4カーとして認められ1980年が終わるころやっと400台目の生産を終了したが、1983年からFIAのレギュレーション変更によりグループCとなり当初のBMWの意気込みとは違って1981年に477台で生産を終了し短命に終わった。でもBMW M1は当時のスーパーカーブームの一翼をまぎれもなく担った一台である。 (文・吉田章二)
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フェラーリ328GTS
- 2011-10-07 (金)
- 秋田の車好き

フェラーリ328GTS
2年ほど前にフェラーリ328GTSを載せたことがあるので今回は少しフェラーリのV8エンジンについて少し詳しく書こうと思う。フェラーリと言えばディノのV6エンジンを除いてV12エンジンと決まっていたが1973年にディノの4シーター版をディノ308GT4に初めて3リッターV8エンジンを載せたのが始まりで新設計の2シーターボーデーに同じエンジンを使用して308GTBとGTSを発売した。(Bはベルリネッタで2ドァクーペ、Sはスパイダーでルーフが脱着できるオープンタイプ)その後数百ccずつ排気量を増加して328,348、F355、F360、F430、そして今販売されているのは458、40年弱で排気量を1.5倍にし、最高出力は倍以上、最高速も300kオーバーに性能を向上させている。40年間の技術の発展は目覚しく特に近年特に厳しくなった排気ガス規制をクリアするためのコンピューター技術、300Kオーバーに耐えるタイヤ、そしてそれを止めるブレーキ等数えたら限がない。馬力は発生トルクと回転数の積だから高馬力を得るならどちらか一方か、うまくすれば両方を大きくすれば良いことになる。結局単位時間内により多くの燃料を効率よく燃やせば良いことになる。高性能車は需要と供給を考えれば少量生産となり一台あたりのコストも高くなる。とするとパワーとスピードはお金しだいとなる。(文・吉田章二)
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CHEVROLET EXPRESS
- 2011-06-16 (木)
- 秋田の車好き

CHEVROLET EXPRESS
今回は趣向をがらりと変えてアメリカのキャンピングカー。写真のキャンピングカーはジェネラルモーターのシボレーエキスプレス(商用車)ベースのキャンパーでアメリカでは中型クラス、日本の路線バスぐらいのキャンピングカーがありモーターホームと呼ばれている。元々アメリカの広大な国土の旅行に一日走っても何にもない所に行くときや、リタイヤした老夫婦が一年ぐらいの時間をかけてゆっくりアメリカ全土を旅しているのを現地では良く見かける。そのためベッド、シャワー、トイレ、キッチン、冷蔵庫、エアコン、発電機など生活に必要な設備はひととおり揃っている。キャンピンカーは日本の道路交通法では特種車両に分類されいわゆる8ナンバーがつく。一時この8ナンバー車には自動車税優遇があり登録する時にキャンピング車で登録してナンバー取得後に元に戻してしまうケースが多く今では税制優遇はなくなり、キャンピングカーとしての最小限の設備が決められ、床面積、最低限お湯を沸かせる設備(水タンク、排水タンク、コンロ)がないと車検を取得できない。日本ではどこへ行っても温泉、コンビニ、ホテルがあるからわざわざ大きな車を維持するよりも、その維持費分を高級ホテルの宿泊費にかけたほうがリッチに感じるかも知れない。小生などは海外に行くとき飛行機はいつもエコノミークラスで8―12時間をじっと我慢して飛行機代の差額をホテル代に振り替えている。でも車好きの中にはこういう分野の車に魅力を感じ行き当たりばったりのワイルドな旅を楽しむ人も多くいるのも確かである。 (文・吉田章二)
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アルファロメオ2000GTV
- 2011-02-01 (火)
- 秋田の車好き

アルファロメオ2000GTV 1974年型。
アルファロメオがこのAgに登場するのは2度目であるが依然載せたのが最初のモデルでこの2000GTV がこのシリーズの最終モデルである。1910年に設立されたロンバルト自動車製造会社の頭文字をとって(詳細は省略するが)アルファ社とし去年100周年。世界各地でアルファロメオファンがその記念に集った。エンブレムはアルファの工場があるイタリア、ミラノの紋章とミラノ地方を統治していたヴィスコンチティ家も紋章(大蛇に食べられているのはサラセン人)を組み合わせている。後にニコラ、ロメオが会社を引き継いだ後アルファロメオと社名を変更したがマニアではアルファと言えばアルファロメオ、ロメオといえばやっぱりアルファロメオで通用する。GTVのVはヴェロチェの意味で音楽に興味ある人はveloceと楽譜に書かれていれば’快活に早く’をあらはす記号であることはすぐわかるとおりビシビシ走ることでGTの後にVを付けてのであろう。デザインはベルトーネが担当したが、4ドアのジュリアのシャーシーを流用したのでこのデザインには苦労したとものの本には書いてあった。アルファの伝統で「これでどうだ、文句ないだろう」と言うぐらい大きな速度計とエンジン回転計を備えたコックピットに圧倒される。もっともフェラーリも同様であるがエンツォフェッラーリも独立するまでアルファのレーシング部門を担当していた。運転してみれば非常にしなやかなサスぺンション、適度なロールで乗っていて楽しい車である。当時のアルファは防錆処理が甘く日本では錆びやすくオーナーは苦労した。アルファ社に言わせれば「うん、イタリアでは雨があまり降らないからなー」さすがイタリア人にびっくり!(文・吉田章二)
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ボルボ240
- 2010-12-03 (金)
- 秋田の車好き

ボルボ240
ボルボと言えば世界で一番安全なファミリーカーと言われた車で見ての通り頑丈そうな外観。
ボルボ車は1927年設立、気候が厳しいスエーデンで生まれた車で頑丈無比。
人口が少ない国なので自動車事故で人命を失わないため自動車事故調査には厳しく、警察のパトカーよりボルボ社事故調査班の車の方が先に到着するという話をよく聞く。
ドライバーの過失か又は車の欠陥で事故が起きたかということを社内で徹底的に検証するようである。わが国では自動車事故はほとんどドライバーの責任とするのとは大違い。
側面衝突などで乗車している人を守るため全ドアに鉄パイプが入っている。
広大な国土を誇るスエーデンなのでアメリカから技術者を迎えアメリカ車の小型版を生産していたが1944年PV444の販売で大成功を収めそれ以降北米輸出が生産台数の半数をしめた。
優秀なスエーデン鋼をふんだんに使い完璧な防錆処理が施され組み上げられたボルボの耐久性は抜群、その上頑丈なのでアメリカなどでは家族を大切にする人にはボルボ特にステーションワゴンに人気があった。
ボルボ社は1970年から社員の労働条件緩和のためベルトコンベア方式を廃止して何人かのグループで一台の車を完成させる方式に変更、そのためコストの上昇を招き高級車生産にシフトした。
写真の車は1978年型でアメリカの安全基準に合わせた5マイルバンパーをこれでもかと強調したデザイン。今の車とぶつかればボルボはかすり傷でも相手の車はバラバラになってしまう。
1980年に入るとこのスタイルでエンジンにターボをつけてヨーロッパツーリングレースに優秀な成績を収め世界の度肝を抜いた。ちなみにボルボは1998年に乗用車部門をフォードに売却。
その後フォードが今年8月に中国吉利自動車に売却した。(文・吉田章二)
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TOYOTA 2000GT
- 2010-10-04 (月)
- 秋田の車好き

1967年5月から1970年8月3年3ヶ月で337台生産された。1960年代初頭日産のフェアレディ、ホンダSなどオープンスポーツカーと言われる車をトヨタは持っていなかった。パブリカをベースにトヨタ系列の車体メーカーに試作させていた車を1965年トヨタスポーツ800として発売したがとてもスポーツカーと呼べる物ではなかった。そこでトヨタは世界に通用するスポーツカーを生産すべく1965年1月からヤマハ発動機と合同で設計を開始。はずか11ヶ月で試作車を完成させた。エンジンはクラウン用M型(1988cc105PS)のシリンダーヘッドをヤマハがDOCHに変更し三国ソレックス2連キャブレターを3連装して3M型と命名し出力を150馬力まで高め当時の日本車では最強の出力を誇った。1960年代初頭の世界を代表したスポーツカー、ジャガーやロータスなどのシャシーやサスペンションを参考にし5ナンバーの枠内でロングノーズショートデッキの均整のとれたクーペボデー、内装はヤマハ楽器が協力、ウッドと金具の調和は1級品である。1966年、できて間もない茨城県谷田部町の自動車高速試験場で5つのスピード世界記録を樹立したが
翌年ポルシェ911Rに破られてしまった。また1968年にはアメリカSCCAレースに参戦上位の成績を収めた。前期、後期合わせて国内向け218台 輸出向け102台プラスαで331台、今回取り上げたのは前期型、後期型はフォグランプ周りが変更された。映画「007は2度死ぬ」でオープンタイプに改造された2000GTが日本のエージェントの所有で登場、ジェームスボンドがドライブしていないので正式にはボンドカーではないが、国内でボンドカーと言えば2000GTである。発売価格238万円 (大卒初任給が25,000-26,000円)それでも原価割れでとりあえず初期の目的を達成したとして1970年で生産を中止した。参考までにポルシェ911Rの日本価格は1200万円であった。(文・吉田章二)
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BMW2000tilux
- 2010-05-27 (木)
- 秋田の車好き

BMW2000シリーズの中で最上級車で1966年から1972年まで生産されその後5シリーズに引き継がれた。第二次世界大戦後501などの大型車とオートバイそしてイタリア、イソ社のライセンス生産のキャビンスクーしか生産されていなかったため戦後から回復した流れに乗れず経営危機に陥りイタリアのデザイナー、 ジョバンニ ミケッロッティがデザインしBMWオートバイ用空冷水平対向2気筒エンジンをリアに積んだ小型 2ドァセダンを発売、直線を多様したデザインとその高性能ぶりで人気を得た。その後経済も安定し中型セダンの需要が高まりノイエクラッセ(ニュークラスの意)としてミケロッティにデザインを以来、写真の車の原型となった BMW1500を発売、BMW伝統のキドニー(腎臓)グリルが復活しその伝統は現在も生きている。それは日本人にはむしろきちんとそろえられた二足のわらじを連想させる。1500が大ヒットして今日のBMWの礎を築いたといっても過言ではない。当時としては非常に性能、走行バランスがよく好き者は早速草レースに参戦し良い成績を収めた。スポーツセダンと言う言葉が生まれた。すぐに1600cc、1800cc 2000ccとエンジンをスケールアップしさらに2連式のソッレクスキャブレター2基がけして各シリンダーに独立して燃料供給してパワーは120馬力まで引き上げられti(ツーリングインターナショナル)とブランド化しデラックスな内装を施したデラックス版をtiluxとした。今日では当たり前になっているパワーステアリングなどがないため細めのタイヤにもかかわらずハンドル操作は停車時はかなり重くかなりの腕力を必要としパワーウデアリングと言っていた記憶がある。普通の女の人では体重をかけても無理かもしれない。当時は車はまだ男の乗り物であった。 (文・吉田章二)
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ジャガーEタイプシリーズⅡフィクスドヘッドクーペ2+2
- 2010-04-09 (金)
- 秋田の車好き

ジャガーEタイプシリーズⅡフィクスドヘッドクーペ2+2とやたらと長い名前だが早い話Eタイプ4人乗りのクーペである。1961年XK150の後継車として発売されXKシリーズの約半額の値段とスタイルの良さで非常に人気を呼んだ。その為本国仕様の右ハンドル車より輸出向けの左ハンドル車が圧倒的に多く8割を占める。EタイプにはシリーズⅠ、Ⅱ、Ⅲがあり、写真のジャガーはシリーズⅡで対米輸出のために米国の自動車安全基準の変更に合わせてシリーズⅠを変更して1969年から発売された。アメリカでは一世を風靡したXKシリーズのレース用のCタイプ、DタイプがあったのでEタイプをXKE150と呼んだ。この150は最高速度性能を表し時速150マイル(240km)出ますとは言っているけれども相当の腕と度胸が必要。場合によってはエンジンを壊して多大な出費を余儀なくされる。2+2は2シーターに比べフロントガラスが立っているのと重量増加のため空気抵抗が大きく約20kほど遅くなるが、いくら車好きと世間に言い張っても家族4人乗って最高速チャレンジでもあるまい。4.2リッターエンジンは超ロングストロークでツインカムにもかかわらず5500rpmまで。それ以上は危険回転数。その代わり40km-240kmの最高速度までトップギァで十分カバーできる。スポーツカーの例外にもれず大きめの速度計とエンジン回転計、センターには小ぶりの5つのメーターとその下にぞろぞろと並ぶスイッチ。このへんが熱狂的Eタイプファンが世界中に存在する理由なのかもの知れない。(文・吉田章二)
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ポルシェ356Aクーペ
- 2010-01-27 (水)
- 秋田の車好き

以前のAgでポルシェ356SCカブリオレを掲載したことがあるが356シリーズでは2代目のAで1955年10月から1959年9月まで生産販売され写真の356は1958年型。エンジンは1600cc60馬力で75馬力のSタイプも併売された。写真のとおりボデーには開口部を除いて全く継ぎ目がない。各ボデーパーツを全て溶接し溶接部分を半田仕上げして組み立てている。特に写真にはないがドァは風切り音と剛性を持たせるため蔵の扉のように何段にも段付を付けている。まさに鉄の箱に乗っている感じでかなりの悪路を走行してもかたりともいわない。エンジンは水平対抗4気筒のため排気音はバイクの様な感じでこれが車好きにはたまらない。最近‘エコだとか地球温暖化さえ唱えていれば地球を救える’と言う言葉を聴くが、元来日本には使えるものを捨てたりするともったいない。そんなことをすると罰があたると教えられ物を大事にする伝統があった。エコカーを買えば地方自治体や政府から補助金が貰える。車歴11年を経過した車は自動車税が1割増し。しかし良く考えると本当にエコなのか。ハイブリットだろうがエコカーだろうが、ガソリンを入れなければ1ミリも動かない。車1台を生産するのに相当なエネルギーを消費する。CO2は本当に減るのだろうか。石油や自動車が無いはるか昔にサハラやゴビ砂漠が形成された。物を大事にしている人が馬鹿をみる。10年後フタを開ければだれが一番儲けたか。そのうち罰が当たらなければいいのだが。(文・吉田章二)
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ケーターハムスーパー7
- 2009-11-27 (金)
- 秋田の車好き

ケーターハムスーパー7。原型をイギリスのコーリン.チャプマンが学生時代にガールフレンドのヘイゼル.ウイリアムズの自宅の納屋で1928年型オースチン7をベースに草レースに出場するために1947年に完成させた車が始まりで、7と名づけその後改良を加え強力なエンジンを積んでスーパー7とした。1973年にケーターハム社に製造販売権を譲ってケーターハムスーパー7が誕生した。見ての通りスピードとオープンエアー、たまの休みにサーキットでアマチュアレースを楽しむ車で暑い、うるさい、臭いの三拍子揃った車、その上低くて狭い。乗り込むだけでも大変で外側の肘が車体の中に納まらなくて、車外にはみ出す。だけれどもファンが多く世界各国でこの手の車を製作する会社が多い。日本でも2社もある。私的表現でマニアには申し訳ないが大八車にエンジンをつけたようなもので、隣に女の子でも乗せようなものなら8割方の女の子には“あたし2度とこの車に乗らない”と言われるのが落ち。基本的に乗馬の文化がないとなかなか馴染めない。600kそこそこの車体に200馬力を超えるエンジンを積みこれでどうだ。俺は男だ。と内心満足している人が結構多い。スピード感は馴れでだんだん満足できなくなり日夜もう少し何とかなるじゃないかと思ったとたん山本リンダの歌じゃないけど“もうどうにもとまらない”となるのである。(文・吉田章二)
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